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『つ』

つらいことばかり

別に病んでいるわけではありません。
人生とはと聞かれれば、こんな言葉が思い浮かびます。

だんだん年を重ねると嫌なことが増えていくとよく言います。
実際思い返してみれば、小さい頃と変わったことは何でしょうか。

まず、周りの環境はそれほど変わってないように思えます。
むしろ大人は子供よりもモラルがあるので、平穏な日々になったと言えます。

次は学校だったのが、仕事に変わりました。
これは責任がのしかかって来ます。
そして終わりまでの道のりが綺麗な一直線です。
遠くの方に見えるのは、微かな出口の光とおじいちゃんになっている自分です。
これは大きな変化です。
霧の中からどこまでも晴れ渡るだだっ広い平原に出たと言うわけです。
先が見えないドキドキというものもあります。

次に使えるお金が増えたと言うことです。
つまり可能性への欲が増えるということになります。
あれもしたい、これもしたい、というのがいよいよ現実的になって
見えてきます。
その「したい」ということも、子供的なものと大人的なものとでは随分違います。
子供的なものは、未知のものへの興味です。
大人的なものは、欲と脳の依存症です。

後者の方は特にお金がかかります。
さらに、強烈な欲求です。

お金があれば必然的にそっちへ向かいます。
これらによって大人は精神的に脳的に疲れます。

前者の方はそれほど強い欲求ではありませんが、子供の頃はそれ以上強いものが
あまりないので、それが優先されます。
別れの悲しみよりも憧れを優先する、そんな具合です。

また年をとると、出会いよりも別れが多くなります。
これはなかなかつらいものです。
別れに対する恐怖心がどんどん膨らみます。
涙の数だけ強くなれるよ、という歌はありますが、それにしても
つらいことに変わりはありません。

人に対してだけでなく、別れという事柄は何とも悲しいものです。
物を捨てられない自分にとっては、特にそうです。

これからもそんな自分を受け入れて、生きていくこと、
それはやはりつらいことでもあり、それに対する抵抗力になっていく
ものだ、と信じる方が賢明だと言えます。

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『ち』

地球

宇宙の中に浮かんでいる小さな星です。
いわゆる今人類が住んでいる星でもあります。

宇宙人はいるのかという話題がお酒の席などで
しばしば出ますが、すると誰かがこう言います。
「地球も宇宙の中にあるのですから、私たちが宇宙人ですよ」と。
それはそうだが、身も蓋も無い意見である。

地球が誕生してから約46億年と言われています。
想像もつかない長さです。
一年に1円ずつ貯金して、46億円貯まる時間といえば
少しは想像がつくが、何とも気が遠くなる定期預金です。

地球に関して様々な研究がなされていて、色々な事がわかってきているが、
しかしあんなに巨大なものを理解するのは無理だと感覚的に思ってしまいます。
子供が大人の体を理解してもしっくり来ないような、何となく未知の部分があるような
そんな気がしてしまいます。

そもそも今住んでいる場所についてのメカニズムを宇宙も含めて
完全に理解していないと言うのは、何とも不安な話です。

明日隕石が衝突して爆発するかもしれない、明後日大地震や火山の噴火がおきて
滅亡するかもしれない、そんな事を考えると夜も眠れません。

でも時に綺麗な景色を見せてくれることもあります。

空がオレンジに染まったり、七色の橋が架かったり、
もっともっと不思議な事もこの星では見ることが出来ます。
もしくは見ることが出来るかもしれない。

生きているうちにどれだけの景色を見ることができるか、
自己満足の世界ですが、今日は少しだけ長生きをしてみたいと思いました。

宇宙に浮かぶ小さくて神秘的な星、今はこれで十分でしょう。

『た』

七夕

毎年7月7日は七の夕と書いて七夕の日です。
昔はお盆行事の一環で、七日の夕方に何やら飾ったりしていたのが
語源という説もあります。

今では短冊に願い事を書いて笹などに飾ったりします。
日本人なら誰もが知っている行事です。

小学生の頃この日が近くなると、何やら飾りを作ったり
短冊に願いを書いたりと慌しくなってきます。
僕が書いた願いは、足が速くなりますように、そんな願いだった
と思います。

子供の世界では足が速いとヒーローになれます。
特にクラス対抗リレーの時などは、崇められます。

中学生になると特に何もしなくなります。
少し現実が見えてくる年頃なので、サンタクロースと
同じような部類かもしれません。

七夕の夜には天の川が見えます。
カササギが川に橋をかけて、織姫と彦星が逢引をします。

今風に言うと、宇都宮あたりから湘南新宿ラインで彼氏が
会いに来て渋谷あたりでデートとそんなところでしょう。

七夕という行事は実際のところ楽しみづらい行事です。
笹や短冊はあまり売っていないし、だいたい梅雨で天気が悪いので
雰囲気が出ません。
浮かれてるのはパチンコ屋くらいでしょう。

でも確かに夢はあります。
広い宇宙の遠くの方で起こっている物語を想像するのは
とてもどきどきします。

もしいつか七夕ブームが到来したら、昔を思い出して
笹に短冊を飾ってケーキでも食べながら、
天の川の伝説について再び考えてみようと思います。

『そ』

掃除

休みの日にやりたい事といえば、掃除だという人は
少なくないでしょう。
掃除をしないとどんどん汚くなって気分的によくありません。
風水などでも部屋が汚いときっと良くはないはずです。

掃除をしようとすると、とてもめんどくさいです。
実際そんなに疲れるわけではないのに、体が鉛のように重くなってきます。
きっと自分の周りの環境を変えるにはエネルギーがいるのでしょう。
部屋を汚すのだってちょっとずつ時間をかけたので、
それを数時間で元通りにするのはエネルギーを使って当然と言えます。

しかし一旦始めてしまうと、意外と止まらなくなります。
きれいにすることの楽しさを思い出します。
気分も良くなります。
風水的にも少しは良くなるはずです。
いい事づくしです。

楽しさの秘密は達成感にあると思います。
何かをやり遂げた時の開放感です。
これは生きていく上でとても大きな喜びです。
苦労した分喜びもまた大きいというあれです。

最終的な結果は同じでも、途中の経路によって喜びの度合いが違う
というのは、何だか脳のしくみが少し見えるような気がします。

今は掃除機という便利なものがあります。
昔に比べてだいぶ楽になりました。
楽になった分体が衰えていきます。当然でしょう。

最近では電車のドアが開くと、イス取りゲームが始まります。
学校で学んだ事が、社会に出て役立ちます。

今後どんどん便利なものが出てきて、体もどんどん衰えます。
それがいい生活かどうかは疑問ですが、いつまでも雑巾がけの掃除では
いられません。
今しか味わえない掃除の喜びを堪能したいものです。

『せ』

セミ

この時期はミンミンミンやらジーーやらとセミの声がたくさん
聞こえてきます。
夏の風物詩の一つです。
とは言っても、うるさいと言えばうるさいし、見た目グロテスクなので
結構嫌われ者でもあります。

セミはとてもはかない生き物です。
土の中で何年も過ごし、成虫になってからは一週間程度しか生きられません。
何の為に生まれてくるのか、子孫を残すためではあるんですが、
潜伏期間が長すぎるためその意味を考えてしまいます。

夢を追いかけるミュージシャンであれば、下北あたりで仲間たちと語り合って
こんな青春もいいな、ということになります。

セミはというと、土の中でずっと眠っています。

仕事がある日の朝起きた瞬間なら、羨ましくなくもないです。

いずれにしても脳が発達した人間から見たら、セミはむなしい
生き物だと思ってしまいます。

夏実家に帰るとヒグラシの鳴き声をよく聞きます。
都会ではあまり聞きません。
(代々木公園に行けば昼から聞けますが、あそこは蚊の巣窟です。)

あの声を聞くと何だか懐かしくて穏やかな気分になります。
色々なことが思い出されます。

今鳴いているセミのおじいちゃんあたりの声を子供の頃に
聞いていたのかもしれません。

セミの一生は短いものですが、長い年月をかけて繋いでいくものは
人間の一生の中で、感慨深い波となって押し寄せて来ます。

『す』

寿司

ごちそうの代名詞とも言うべきものです。
少しシャレオツな言い方をするとしーすーです。
誕生日や初給料日やその他お祝いごとがある時は、
こいつが頭を過ぎります。

外国人のほとんどが日本の料理と言えば、スシ、テンプラをあげるはずです。
中学生くらいの英語の教科書にもそんな例文がありました。

一見するとご飯の上に魚の身を乗っけただけのシンプルな料理です。

しかしこいつが目の前をグルグル回ると、とてもハイテンションです。
回らないともっとハイテンションです。

まずお寿司屋さんに行くと、食べる順番というのが人それぞれあります。
一番大きなポイントとして、好きなものが先か後かということです。
僕はここで人生について考えます。

人生のピークをどこに持ってくるかということです。

少年期か青年期かはたまた中年期か。
空腹感は若い時の感性が豊かな時期だとします。

学生の頃やりたい事をやってある程度悔いの無い学生時代を過ごすか、
学生時代の悔いを引きずってやりたい仕事に喰らいつくか、
将来の計画のためにコツコツお金を貯めるか、これも人それぞれです。

嫌いなネタは出来るだけ避けて、たまに新しいネタに挑戦して
一喜一憂したりします。

いずれにしても、いつかは必ずお寿司界のエースが自分のところに
回ってくると勝手に信じています。

これからも人生のお祝い事の時には、寿司を食べながら
現在地点を確認して、時には熱いお茶で流し込むのも
いいのではないでしょうか。

『し』

幸せ

この世界中の人たちが幸せを探しています。
こう言うとメルヘンチックに聞こえるかもしれないが、
実際はそうだと思う。
そもそも幸せとは何なのか、語源は置いといて今の人たちにとっては
愛する人がいること、お金がいっぱいあること、おいしいご飯をたらふく
食べること、寝ること、表現すること、友達と酒を飲むこと、など
人それぞれ色々です。

あえて定義するなら、幸せだと感じる瞬間、でしょうか。

それだとまだよくわからないが、こういうものははっきりしないほうが
いいってもんです。

その瞬間は誰にでも経験があると思うが、それが人生の生きがいかと聞かれたら
必ずしもそうではないと思う。
その瞬間は欲の要素も含まれているし、生きがいというものは色々なものが
複雑に絡み合ってあるものでそれでいてシンプルだったりする。
欲を満たすことが幸せなのだとすれば、話は簡単だ。
しかしそんな簡単な話にしないロマンというものもある。

太宰治が言うには、幸せはいつも一日遅れでやってくる、そうです。
確かにそうかもしれない。
今日友達と旅行に行って海で花火をしたとする。
その時よりも次の日になって幸せだったと感じる。
その時に一瞬幸せだと感じることもあるが、それは予感している
だけなのかもしれない。

しかしそれだと一生幸せは自分を追い越さないし、訪れないということになる。
それだと悲しい。けど僕はそういうのは嫌いではない。

自分の頭の中にある思い出が幸せで、今もまさに幸せに変わる素材を
探し続けいている。
まさに宝探しのような。
実はそれこそが幸せな日々だと言えるのかもしれない。

『さ』



魚には栄養がたっぷりです。
骨を丈夫にするカルシウムや頭が良くなるDHAなどなど。
残念ながら僕は魚がそれほど好きではありません。
なんせ骨がたくさんあって邪魔だし、喉に刺さりそうだからでです。

だから記憶力などもよくありません。

一昨日くらいの夕飯が思い出せません。
でもこれはきっと毎日同じような生活をしているので、
記憶がダブっているからでしょう。そんな言い訳をしておきます。

思い出しました、麻婆豆腐です。

中学生の頃釣りにはまっていた時期がありました。
男子なら一度ははまる人も多いのではないでしょうか。

海や川や沼や池や色々です。

餌はアオイソメやミミズを使います。
アオイソメはオウムのミニチュアみたいなやつで時々噛まれて痛いです。
当時は当たり前のようにそれを使って釣りをしていましたが、
今じゃ餌がかわいそうで出来ません。

生物にはみな命があるのです。

年をとると余計な情が出てきてめんどくさくなります。

ヒトの祖先は魚だという話を聞きます。
それなら今の自分があるのは、アオイソメやミミズのおかげも少しは
あるのかもしれません。

お金に余裕が出来たら1万円分餌を買って、どこかいい感じの土に埋めてあげるのも
いいかもしません。
それが恩返しになります。
プロフィール

penjack

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